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執筆者の写真Takoh

はじめに

更新日:2019年4月27日

音楽を仕事にしていく。


その事を考え始めたのはいつ頃だろう。

最初に考えたのは大学生の頃だったか。


サッカー少年だった小学生の頃は流行りの曲をレンタルしたり、

兄のCDを聞いたりしていたが、高学年の頃に5歳上の兄がギターをやり始めて、

なんとなくギターの存在が身近なものになった。

その頃、長渕剛のとんぼや、ドレミファソラシドを教えてもらったが、

サッカーにしか興味がなかった当時の僕は余りのめり込む事はなかった。



ちゃんと弾き始めたのは中学入ってから。サッカーは地域の強豪クラブチームに入ったものの、周りのうまさに挫折した僕は1年生の秋にはサッカーをやめて、その分できた時間に何と無くゲームをやったりギターをポロポロ弾く様になっていった。といっても当時はスーパーファミコンのゲームをやっている時間の方がはるかに長かったと思う。




ギターを教えてくれた兄は当時エレキギターでハードロックやメタルな方向をやっていた様に記憶しているが、僕はエレキよりももっぱらアコースティックギターやクラシックギターの生音が好きで、家に楽譜があったビートルズやイーグルス、それからMr.Childrenやブルーハーツなどをじゃかじゃかやっていた。父親が昔やっていたので、アコギやクラシックギター、エレキギターもおいてあったのは僕にとって幸運な事だった。

その頃だっただろうか、父親がジョー・パスのビデオを買ってきて家で観たけれど

さっぱり何をやっているのかわからず「この人むちゃくちゃ弾いてるの?」などと聞いていた。



高校に入ってから、音楽好きの仲間も増えて、バンドを組んで学園祭に出たり、有志のア・カペラユニットを組んで合唱祭に出たり、一緒にギターを弾く友達もできた。

バンドではHi–standardをはじめ学生が盛り上がりそうな曲、ア・カペラではPPMなどをハモったり(文化祭ではロリポップをやった)、ギター仲間とはサイモン&ガーファンクルやソロギター曲集を弾いて遊んだりしていた。

同時に僕の音楽遍歴を綴る上で欠かせないのが、エリック・クラプトンの音楽との出会いだ。


高校1、2年の頃、エリック・クラプトンがベスト盤を携えて武道館公演に来た。

僕は父親とそれを聴きに行ったが、その前に曲を知らなきゃ面白くないと思い、歌詞カードを見ながらベスト盤を聴いていると、ギターソロのところに「ad–lib」と書いてあるのを見て


「ギターをアドリブで弾いてる!?」



というのにびっくりしたのを覚えている。



それから僕は、アドリブで演奏をするという事に強く興味を惹かれて行った。

何をどうやったらいいか全くわからない状態で、なんとか情報を収集すると(当時はインターネットなど使えなかった)、アドリブをやるならブルースからやるといいということが分かり、

まさにエリック・クラプトンもブルースマンという事もあり、電車で近くの繁華街まで行き、初めてギターの教本を買った。


ペンタトニックスケールやオープンチューニングでのブルースの奏法などが載っていた本だったと記憶しているが、その時にペンタトニックスケールの魔法の様な格好良さと手軽さに虜になった。クラプトンのCDに合わせてペンタトニックで適当に弾きまくって遊んでいたが、曲により確実に音が合わないものがあり、曲には調性(キー)というものが存在することもわかった。


バンド、ア・カペラ、友人とのセッションや1人でブルースを模索したり、今思えば、この頃にやっていたこのマルチでノンジャンルな自分の音楽性は、今の活動や仕事と同じだと言える。



その後大学生になり、ジャズというジャンルはもっと高度で複雑なアドリブを行なっている事を知った。

ブルースほどの衝撃はなかったが、当時見た映画「ギター弾きの恋」や聴きに行ったエリック・クラプトンがやったover the rainbowあたりが傾倒していく決定的なきっかけだったように思う。なんともお洒落で大人の香りがするハーモニーと、リズムの軽快さ、アドリブという自由さに虜になった。

何れにしても大学2年時の4月にジャズ研を見学に行ってるので、1年の時にターニングポイントがあったのは確かだ。




ジャズギターを始めようと思った時、まず始めに何をしたらいいかを考えた。

まず思いついたのは、ジャズ特有と言っていいフルアコースティックギターを買う事。



当時貯金やお年玉やバイトで貯めた現金20万を持って渋谷の楽器屋walk'inに行き、全く何もわからない状態で、店長のおすすめのES-175を購入、初めての巨額の買い物と、ちょっと足が出た分のローンを組む事にビビりまくっていたが、今でも現役でお気に入りのギターとして使用していることから、この時の選択は正解だったし、このギターがいたからここまでやって来られたという気持ちもある。



その他は、とにかく聴くこと。ジャズライフなどの雑誌で情報を集めて、disk unionで中古CDを買っては、とにかくジャズを聴きまくった。当時はギタリストはもちろん、サックス、ピアノなども選ばず有名どころを聴いていった(いまでもあまり楽器にこだわらず聴いてはいる)。それから、様々なライブに実際に足を運んだ。

東京は、調べてみるとジャズ喫茶やジャズライブバーが沢山あって、日夜おしゃれな音楽がいたる所で演奏されているのもわかった。その過程で、僕は自分の最も敬愛するギタリスト、市野元彦氏の演奏と音楽に出会い、感銘を受け、実際のレッスンを受けるまでに至った。




それから、「ジャズギターの金字塔」という布川俊樹さんの教則本を買って弾きこんだ。

文字通りボロボロになったので、再販の時に一応記念にもう一回買った。

他にも、ジョーパスの「ブルースと代理コード」はやりこんだ。

これのお陰で中学生の頃にめちゃくちゃ弾いてると思ったジョーパスの演奏方法が実に理路整然として教科書的な事がわかった。



その他、ジャズライフなどに載っている採譜してあるものも沢山コピーした。



その頃、布川さんのサイトなど、他の情報でも、とにかく耳コピが大切という事をよく目にしていたので、自分なりに色々とやって見たけど、本当に骨が折れる作業で、当時はあまり好きじゃなかった。でもやらなきゃいけないし…という強迫観念が生まれてきた頃あたりから、このブログの最初の命題、「音楽を仕事にしていく」を考えはじめていたんじゃないかと思う。




それまで独学で練習、勉強していた僕は、過去の偉人たちや現役プレーヤーの演奏やインタビューを聴いていて、自分には何か決定的に足りない何かがあるのではないかと感じ、それが何かを考え始めていたのもこの頃だ。



その頃は、ある程度のテクニック(単音弾きの運指、難しいテンションコードなどの押弦など)はある程度出来る様になっていたけれど、自分のプレイがプロ奏者の同一線上の下位に属するものではなく、全く違う線に乗っているような違和感を感じてならなかった。




結局この違和感は、一言でいうと「音楽力の欠如」ゆえに全く自分の音楽をコントロールできていなかった事が原因だと思う。



独学ではどうにも行き詰まってしまったと考えた僕は、大学生の頃に初めて先生に師事する事を考えた。



それから、僕の最大の幸運は「いい先生」についた事。

その後現在に至るまで、何人かの先生に師事したが、どの先生も音楽に対して誠実で謙虚で、自分の音楽を追求している人たちで、レッスンを通して音楽の素晴らしさを伝えてくれた。



時には、レッスンを受ける前と受け終わった後では、音楽が何倍も好きになっている自分がいたり、作曲のレッスンでは、先生に添削してもらった後に自分の曲が最初よりも何倍も好きになっていたりという事が起きた。



レッスンを通して、専門的な事を知れば知るほどより音楽を好きになっていき、聴き方や捉え方、演奏の仕方が変わっていったと思う。



いい先生を通して、ただ「聴けばわかる」、なんとなく「弾けばわかる」ことはほんの表層の部分で、専門的に勉強して初めて「聴ける」「観える」「弾ける」ものがあり、それは独学で身につけることは本当に難しいことだと感じた。




特に僕が習っていたジャズやクラシックの分野では「聴けばわかるだろう」というスタンスではJ-POPのようにマスに共感を得ることは難しいジャンルだと考えるようになった。


僕のやっているボーダーレスな現代的音楽ではそれはより顕著だと思う。


こうして僕は、「演奏する」「表現する」という事と同じくらい「レッスンを通して伝える」という事にも強く必要性と憧れを感じることとなった。



単純に「この人たちのようになりたい」の「この人たち」が、いいプレーヤーであり、いい先生だったというのもある。




かくして僕は現在演奏業と講師業を仕事としているが、このブログでは、

上記の「音楽力の欠如」をいかにして補填していったかを紹介していこうと思っている。



その勉強、修得をしていったものの多くは、終わりなどはなく現在でももっと高みを目指して精進しているものがほとんどだが、僕の先生達もそのような考え方で先生をしている事は間違いなく、だからこそ音楽に対して常に謙虚で誠実だと感じたし、僕もそのようでありたい。



何より今は、自分自身が先生達と同一線上で、さらには世界的なプレイヤーとも同一線に自分が乗っかっているという共感を感じられる。

また、一つのジャンルにおいて本質を追求していくと、全く違うジャンルでも本質的な部分では共感できる事が多々ある事もわかった。



僕の音楽感や経験、考え方が規範や模範になるというと、それはそれで疑問が残るところかと思うけれど、音楽を生業にしている人間の一つのケースとして知っておいてもらっても損はないだろう。


その上で音楽を聴いたり、別のプレーヤーの奏法論や考え方と触れた時に、

僕の特徴や不足点、または合理的な部分も見えてくるかも知れない。



大切なのはそういうものを取捨選択できるような「音楽力」を身につける事。

その上で自分の音楽観や音楽性を見出せれば素晴らしい。

そういった過程のステップの一段となってくれれば、このブログも少しは役に立ったと言えるだろう。



一つ断っておきたいのは、このブログは特段奏法論を丁寧に解説したものではないという事。

あくまで、天才でもなく、幼少の頃から音楽をやっているわけでもない平々凡々な1人の人間が、音楽を生業にするためにどのような事を必要と考え取り組んでいったか、に主眼をおくつもりでいる。

技術的なものや音源が必要なものは新しく用意するか、既存の自分の作品(アルバム)を題材に説明をする事があるかも知れない。

具体的な実演や譜例などが必要になった時は、既存の偉人達のプレイや、有名な教則本などがすでに多々あるだろう。



いずれにしても「音楽力」というものはブログを読んですぐに身につくような技術や知識ではなく、歳月をかけて取り組み、能力として自分のものにするものが大半だと思う。



僕のレッスンではそのような音楽力を高めるレッスンを希望する人も少なくない。



実際にジャズもギターも全くの初心者だった方が、僕がライブで新曲を演奏した後に

「あの曲のドリアンへのモーダルインターチェンジがすごく良いですね。」

などといってくれるのはとても講師冥利につきる。



ある程度、年齢に関係なく僕のいうところの「音楽力」は育める事がレッスンを通してわかったし、面白いことに、専門的になればなるほど一音への責任感が増すと同時に、子供のような音楽への情熱や純粋さ、そして誠実さと謙虚さが芽生えていく事も実感した。



音楽とは不思議なもので、たったの12音しかないけれど、リズムやハーモニー、旋律が複雑に、時にシンプルに絡み合う事で、人間に対して様々な感情を想起させる。

多くの音楽家がそれらを自由にコントロールできるように修練してきたように、僕ももちろん今現在もこれからも自分なりに修練を重ね、自分の音楽を模索している。その為に僕がどのようなことをしているか知ってもらう事が、わずかばかりでもヒントになれば良いと思う。


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